水準原点近傍 甲号
国会議事堂前の憲政会館の庭はもと陸地測量部のあったところで水準原点が設置されていますが原点から十数メートルの範囲に多くの水準点を見ることができます。これらは原点から直接水準測量により標高が正確に求められています。標識番号も1,2,3でなく甲、乙、丙などとついており特別扱いで大きな地中枡の中にはいっています。甲は原点建屋の前(北)で噴水池の手前にあり内辺60センチメートルの地中枡の鉄のふたには「甲」の刻字があります。
一辺21センチメートル程度の標石上面の突起は滑らかで金属の鋲か石かは不明ですが濃い緑色になっていましたが緑青ではないようです。
水準原点近傍 乙号
標識:乙号
地図:東京首部
乙は水準原点から見て左手(東)の植え込みの中にあります。たまたま「測量の日」のイベントで内部が公開されていたので見ることができました。地中に埋設された標石で上面の突起は薄い緑色になっていました。地中枡の鉄のふたには「乙」の刻字があります。
水準原点近傍 丙号
標識:丙号
地図:東京首部
丙は原点から見て右手の舗道上にあります。甲、乙と同様ですが標石上面の突起は濃い緑色になっていました。
水準原点裏 丁号
標識:丁号
地図:東京首部
水準原点近傍では丁号という一ヶ所だけ地上標石になっています。丁号は水準原点建屋の東南、一段と低い公園内にあります。南面には「水準点」、東面「基本」北面「No.丁」、西面「地理調」とあり標石は国土地理院の前身である地理調査所が戦後に設置したものです。しかし水準点の位置としては、水準原点設置当初から甲、乙、丙、戊とともに原点の付属点として選点されています。[鈴木弘道:水準原点の話 「地図ニュース」No.224 日本地図センター 1991.5 p14]
原点と付属点の変位を監視することによって原点だけが明らかに変動した場合に値を改訂することができます。
水準原点近傍 戊号
標識:戊号
地図:東京首部
戊号は原点からすこし離れており憲政会館のレストランまえの植え込みのなかで、やはり地中枡のなかにあります。周囲には植木や電気設備などもあり、気をつけていないと見過ごします。標石上面の突起は甲、乙、丙、号のように緑色にはなっていません。
中央区新川
標識:T−1号(交無号)
地図:東京首部
中央区新川の中央大橋のすぐ西に荒川下流工事事務所が所管する霊岸島水位観測所があります。ここでの明治初期の観測データをもとにしてわが国の標高の基準をきめました。観測所の裏に堤防をはさんで民家があります。八丁堀の方からくると、ちょうどリバー通りの突き当たりになります。この前の地中に「交無号」の水準点があります。現在は鉄のふたに「基本 一等水準点 建設省国土地理院」の金属プレートが貼ってありました。
ところが古いふたも保存されており分厚い花崗岩に「交無号」「一等水準点」と縦書きで刻字されています。写真では「交無号」の刻字が薄く見難くなっています。じつはもう一枚蓋石があるのですが現在は砂利の下で容易に見ることができません。こちらの方は「無号」「一等水準点」と刻字されており大きさはほぼ同じだそうです。観測所との関係でもともとこの位置には明治初期から水準点(几号水準点)がありました。点の記によると蓋石付きの標石が埋設されたのは1930年(昭和5)のことで当時は験潮所官舎と水上署長官舎の間にありました。
2006年(平成18)には民家前にあった地中の水準点は建物増築の支障になるためか60メートル東、中央大橋の袂に移設されました。新川二丁目32の水防倉庫の北3メートルの地点です。標石は25センチメートル角の交点水準点ですが前位置にあったものと異なり新しいようです。南面の刻字は「水準」までしか読めず地中は「点」か「點」かは不明です。
西新宿成子天神社
標識:U号
地図:東京西部
西新宿八丁目、東京医科大学病院筋向い、成子天神社参道右側(東側)の玉垣傍にあります。現行の地形図にはこの水準点は載ってなく廃点になっているようです。
寸法は一辺28、地上高さ38センチメートルで普通に見られる交点水準点よりも、ひとまわり大きい標石です。上面の、くぼみは直径17、球分体は直径6センチメートルになっています。刻字は西面に「水準點」、東面に「U」とあります。上面南側は少し欠損しています。
この水準点は1891年(明治24)に日本水準原点が現国会議事堂前に完成したときに同時に同原点の変動監視のために5ヶ所に設置された一等水準点の一つです。原点数値の決定に使用された路線について大正7年までに7回の水準測量が行なわれました。5ヶ所は水準原点を取り囲むようにつぎの位置に設置されました。
T 東京府武蔵國荏原郡大崎村
U 東京府武蔵國南豊島郡淀橋町
V 東京府武蔵國北豊島郡板橋町
W 東京府武蔵國南足立郡千住町
X 千葉県下總郡東葛飾郡松戸町
上5ヶ所の所在地名称は設置当時のもので西新宿成子天神の水準点はUに該当します。標高は明治25年度成果では36.2248メートルです。この水準点が記載されている最古の地形図は五万分の一では「東京西北部」明治42年測図、二万五千分の一では「東京西部」大正5年測図になっています。
わたしはU、W、Xを現地で確認しましたがW、Xは現行の水準点として使われています。Tは荏原一丁目15−10の延命地蔵前に1963年(昭和38)に移設され地中埋設、Vは板橋区大山東町の板橋第一中学校に1951年(昭和26)に移設されたようですが未確認です。
五反田延命地蔵
標識:T号
地図:東京西南部
JR五反田から桜田通りを南西へ約1キロメートル、TOCビルを過ぎ首都高速の下をくぐり間もなく中原街道に沿って桐ヶ谷信号があります。それを北へ入り一筋目を西に曲がったところのクリーニング店の隣に延命地蔵があります。間口があまりにも小さいので通り越してしまいそうです。
水準点標石は地中にあり軽い鉄蓋を持ち上げると内部が見えます。標石の寸法は一辺28、地下45センチメートルで刻字は読めません。
この水準点は1891年(明治24)に日本水準原点の変動監視のための5ヶ所の一等水準点の一つで「東京府武蔵國荏原郡大崎村」に設置されたものですが点の記によると1963年(昭和38)に現在地に移設されたようです。
延命地蔵は品川区の民俗文化財「旧中原街道供養塔群」のひとつとして保存されており街道にあったことから旅人が道中の安全を祈願したと思われます。
千住新橋 真福寺
標識:交W号
地図:草加
荒川に架かる千住新橋の北西端、東武伊勢崎線五反野の南700メートルにある真福寺の境内にあります。南向き(荒川の向き)の山門を入り、その右側境内土塀のきわにあります。近年、本堂が建て替えられ、現行の点の記の位置とは異なっています。
標石は一辺27、地上高さ24センチメートルの巨大な交点水準点です。上面の窪みの直径は17、球分体の直径は5センチメートルあります。刻字は東面に「水準点」、西面に「W」の刻字が見られました。隣接する水準点は「足18」と「004−009」になっており、この数字「W」がどのような意味をもっているのかわかりません。
東新橋
標識:15−002号
地図:東京南部
新橋ゆりかもめ乗車場裏のリクルートビル前の歩道植え込みにあります。国道15号に面しており2.5キロメートルを示すキロポストも併設されています。金属標の表面には「NO 015−002」の刻字があります。
油壺験潮場
(験潮場附属水準点)
標識:付2号
地図:三浦三崎
油壺の験潮場は1894年(明治27)に千葉県高神村から移設されました。霊岸島量水標の潮位記録は淡水の影響などがあり理想的なものではなかったので油壺験潮場の潮位記録によって水準原点の高さを検証することになりました。国土地理院では油壺と水準原点との間を隔年ごとに一等水準測量を行っています。
験潮場の位置は東急三崎口からのバス終点である油壺停留所のすぐそばです。急な階段を降り立ったところに新旧両方の建屋があります。験潮場附属水準点の標石は新建屋(写真中央手前)の手前、階段きわにあり上面は球分体がありますが26センチメートル角、地上高30センチメートルで普通の水準点よりもかなり大きい標石です。南面には「水準点」とありますが等級の刻字はありません。北面は山の法面に接しておりみられず、またほかの面には刻字はありません。
写真上の標石は上面に大きい十字が彫られています。旧験潮場建屋の北側にみられましたが何の目的で設置されているのかわかりません。境界標石のようにはおもえません。
油壺験潮場近傍
標識:基26号
地図:三浦三崎
油壺験潮場の附属水準点から50メートル上方の階段そばにあります。柵にかこまれ施錠されているため内部をみることはできませんが基準水準点ですから大きい鉄蓋のなかには標石と地中標(硬石標と金属標)があるはずです。柵には基準水準点について解説が掲示されていました。この基準水準点は油壺験潮場の附属水準点と同時期の1930年(昭和5)に設置されています。
横浜鶴見
標識:30号
地図:横浜東部
横浜市鶴見区、国道15号の下野谷入口交差点から南東へ30メートル入った北側にあります。JR鶴見線の国道から徒歩5分で到達できます。住宅、商店がたちならぶなかに標石がみつかります。南面には水準点の「水」が北面には「三」の刻字が露出しています。一辺21センチメートル角、直径6センチメートルの球分体のある標準型ですが、よく見ると各面が隅切りしてあります。水準点としてはめずらしいものです。