[PR]子育てママさんへ:3年毎に15万円うけとれる保険?

道路元標・里程標など


日本国道路元標

地図:東京首部

東京日本橋にある「日本国道路元標」です。「日本」に「国」がついて、日本国という厳めしい記述は、わたしは憲法とかパスポートでしかお目にかかったことがありません。なにしろ交通量の多い日本橋の橋の上で道の真ん中ですから写真を撮るには安全確保が要ります。車が渋滞しており橋の両端の交通信号がともに赤になるときがチャンスです。上には首都高速道路が走っているので雨には濡れません。橋のたもとには記念碑もあります。話は別ですが「日本国」という名前の山があります。新潟県の最北部で山形県との境にある標高555メートルの山です。

札幌市道路元標

地図:札幌

JR札幌の南、赤レンガの建物で知られる北海道庁旧庁舎の正門前にあります。もともと1928年(昭和3)に設置されたものですが1982年(昭和57)に再建され、いまはモニュメントになっています。

青森 国道終点標識

地図:青森西部

青森県庁の正門東にある「青い森公園」の国道側歩道に「国道の碑」と「国道標石」がみられます。国道の碑は高さ3メートル程度で先の尖った自然石です。建設省青森工事事務所が建てた説明板には「東京日本橋起点 国道四号 新潟市起点 国道七号 青森市長島で終点となる 平成九年九月二十五日」とあり、歩道上の金属標には「新潟473Km 青森 東京日本橋 740Km」など刻字がありました。

青森市道路元標

地図:青森西部

JR青森から東へ800メートル、善知鳥(うとう)神社前にあります。現在位置から察すると、ほかの場所から移設されたのではないかと思われます。

仙台 芭蕉ノ辻道標、仙台市道路元標

地図:仙台西北部(芭蕉ノ辻)、仙台東北部(市元標)

青葉区一番町三丁目の芭蕉ノ辻といわれる場所には古い道標があります。現在は商店街になっていますが、もと仙台城からの幹線道路と奥羽街道が交差するところで津軽三厩や江戸日本橋までの里程が刻字されています。1971年(昭和46)に安田生命によって復元されたものです。芭蕉の辻はもともとバショウの木があったのでそのように呼ばれており奥の細道の松尾芭蕉とは関係ないそうです。

仙台市道路元標は仙台市の中心、青葉区本町三丁目の市役所前の勾当台(こうとうだい)公園の角にあります。国道45号の起点(終点は青森市)、国道48号の起点(終点は山形市)となっておりまた国道4号(起点は東京都中央区、終点は青森市)も交差しています。写真では刻字が白くなっていますが、これは写りをよくするために雪を埋め込んだためです。

福島県岡山村道路元標

地図:保原

福島市中心部から阿武隈川をへだてて東へ5キロメートルのところです。現在は福島市になっており岡山小学校から西へ200メートルの斜めに道路が交差している東南角にあります。

福島市道路元標

地図:福島北部

福島県庁から国道13号を横切り県庁通りの一筋目角、上町(うわまち)にある福島市資料展示室前にあり大理石でできた道路元標の説明板も建っています。それによると明治初期に旧城下の高札場であったこの位置に設置され1919年(大正8)の道路法により石標にあらためられました。

福島県金谷川村道路元標

地図:福島南部

福島市の南、松川町浅川でJR東北本線が2線に分かれますが、北側の線路と旧陸羽街道が交差する北側に見られます。刻字が薄く北面に「道路元標」、西面にかろうじで「金谷川村」と読めます。金谷川村は1955年(昭和30)に松川町になりましたが1965年(昭和40)には福島市に編入されました。

旧東京市道路元標

地図:東京首部

日本国道路元標のすぐ近く、日本橋の北詰め西側にあります。この辺り「元標の広場」になって整備され、もともと橋の中央にあったものが移設されています。東京市道路元標のほかに日本国道路元標の複製と各地までの里程標があります。「京都市 五0三粁」というのも見受けられました。東京市の元標は古い西洋風の街灯になっています。

石川縣里程元標

地図:金沢

JR金沢の東1.5キロメートルのところ、尾張町の国道159号、橋場三差路南西角にある枯木橋のすぐ近くにあります。「石川縣里程元標 加賀國金澤尾張町」など刻字があります。もともと1873年(明治6)に設置されましたが、いま現地に見られるのは1983年(昭和58)にモニュメントとして再建されたものです。

石川県美川町道路元標

地図:美川

JR北陸本線、美川の駅前通りを西へ500メートルほど進むと手取川にかかる美川大橋にあたりますが、その手前にある藤冢(ふじつか)神社へ入る「宮前通り」という狭い道の東、民家の前にあります。標石は25センチメートル角、地上高65センチメートルで上面は丸みを帯びており西面は「道路元標」南面は「美川町」の刻字があります。美川町は明治初期に石川県の県庁があったこともありますが2005年(平成17)からは白山市になっています。

福井縣里程元標

地図:福井

JR北陸本線、福井の西1キロメートル、福井市照手一丁目、足羽川(あすわがわ)にかかる九十九(つくも)橋北詰西側に見られます。

寸法は東西幅50、南北幅40センチメートル、地上高さ約2メートルあります。北面に「里程元標」(右横書き)下に各地への里程、東、西面は各地への里程、南面は「明治四拾二年七月」「福井縣」などと刻字がありますが後年、コンクリートで複製されたようです。そばに説明板によると1923年(大正12)にこの里程標とは別に道路元標が建てられたようです。

滋賀県大寶村大字綣 (へそ) 元標

地図:草津

現栗東市綣(へそ)にある大寶神社の前にあります。かつては中仙道に面した要所でした。この標石は道路元標ではありませんが里程標の形式になっています。「距大津市元標四里十八町三十間五尺」「第十六師團司令部最迫九里八丁十二間五尺」などと刻字が見られます。1917年(大正6)に設置されましたが損傷したため2000年(平成12)に復元再設置され元の標石は栗東歴史民俗博物館(同市小野)にあります。同博物館で確かめましたが、まだ梱包された状態で収蔵庫にありました。

今津町道路元標

地図:今津

JR今津の北東300メートル、北国街道に面した住吉神社の向かいにあります。「今津町道路元標」の刻字があります。

今津町は1906年(明治39)に今津村から町になり、2005年(平成17)に周辺町村とともに高島市に統合されました。かつては京都と北陸をむすぶ交通の要所でした。

大津市道路元標

地図:京都東北部

大津市京町一丁目の国道161号の交差点西南角にあります。北面には大津市道路元標、南面には滋賀県の刻字があります。台座の東面に几号水準点が彫られているのを見つけました。道路元標は1921年(大正10)頃全国の市町村に一斉に設置され、また几号水準点は1877年(明治10)頃、多く設置されているので台座だけ流用したようです。この場所は昔から「札の辻」と呼ばれていました。札の辻は江戸時代幕府の高札が建てられた四ツ辻であったことに由来しています。東海道と北国海道の分岐点でもありました。

京都市道路元標

地図:京都東北部

烏丸三条東南角の京都銀行の前にあります。元は東海道の端点にあたる三条大橋のところに里程元標があったのですが、どのような事情でここに道路元標が設置されたのかわかりません。この標石には京都市道路元標以外の刻字は見あたりません。標石の下、三分の一は変色していますが埋もれていたのでしょう。1885年(明治18)発行の「京都府管内全圖」によると「三條大橋中央ヲ元標トス」とあり各地への距離が記載されています。[嶋田道生ほか校正・製図:京都府管内全圖  京都府 1885]

西院村道路元標

地図:京都西北部

阪急電鉄西院から北西へ5分、佐井通り(春日通り)に面した春日神社境内の南奥に見られます。25センチメートル角で高さは整形部65、荒削り部33センチメートル、頭部は丸みのある花崗岩です。西院村は京都府葛野郡にありましたが1931年(昭和6)京都市に編入され京都市右京区になりました。

花園村道路元標

地図:京都西北部

JR花園近くの妙心寺勅旨門の南西角に見られます。25センチメートル角で高さは整形部65、荒削り部12センチメートル、頭部は丸みのある花崗岩です。花園村は京都府葛野郡にありましたが1931年(昭和6)京都市に編入され京都市右京区になりました。

山国村道路元標

地図:上弓削

京都の旧京北町(現右京区)にあります。もとは北桑田郡山国村でしたが1955年(昭和30)に周辺町村とともに合併して京北町にさらに2005年(平成17)には京都市右京区になりました。時代祭では山国村で結成された勤皇山国隊が当時の衣装で行進します。 道路元標は京北運動公園のバス停(北側)傍らに見られます。刻字はコールタールのようなもので汚れ全体は見えません。

小野郷村道路元標

地図:周山

京都から周山街道を経て高雄、中川と北山杉の名所を過ぎると小野郷にはいります。小野郷村は1889年(明治22)京都府葛野郡の小野村、大森村、真弓村、杉坂村の4ヶ村が合併して成立しましたが1948年に京都市上京区(のちに北区)に編入されました。当時、村人のほとんどが山林労働に従事していましたが近年は稀になりました。道路元標はバス停そばの郵便ポストの横にあります。

修学院村道路元標

地図:京都東北部

叡山電鉄修学院で下車、駅西側にある大原道の交差点を北に渡ったところにあります。「標」という刻字は舗装の下に埋没しています。大原道は京都市街から八瀬大原への主要道路ですが、この道路元標は旧道にあります。大原からさらに近江、若狭へと延びており昔は都と日本海を結ぶ要路でした。京都府愛宕(おたぎ)郡修学院村は1931年(昭和6)に京都市左京区に編入されました。

東舞鶴市道路元標

地図:東舞鶴

JR東舞鶴から北向きの三条通が国道27号(大門通)に交差する南西端の歩道上にあります。東舞鶴市は1938年(昭和13)に市制が施行され1943(昭和18)舞鶴市になりました。明治時代から海軍の基地として、現在は海上自衛隊の基地として栄えています。

納所村道路元標

地図:淀

京阪電鉄淀の北250メートルにある宮前橋手前の納所(のうそ)交差点から斜め北方向に入った道の東に見られます。法行寺の手前になります。標石は25センチメートル角、地上高さ75センチメートルで頂部は丸みをおびています。

納所(のうそ)村は1889年(明治22)町村制施行により京都府紀伊郡の一村になりましたが1931年(昭和6)に京都市に編入されています。

淀町道路元標

地図:淀

京阪電鉄淀から京都競馬場前の道を南西へ1キロメートルの地点、淀新町の宇治方面バス停の向かいにあります。標石は25センチメートル角、コンクリート台石上の高さ40センチメートルで頂部は丸みをおびています。刻字は「淀町道路」までで「路」の下半分以下は台石に埋没しています。

1889年(明治22)町村制施行により京都府久世郡淀町として発足し1957年(昭和32)京都市伏見区に編入されています。

湯船村、木津町道路元標

地図:笠置山

京都府の最南端、相楽郡和束町湯船にある元湯船小学校跡のグランド南東角で見つけました。写真ではみにくいのですが南面には「湯船村道路元標」北面には「木津町道路元標」の刻字があります。木津町は1893年(明治26)に発足し湯船村は1956年(昭和31)に和束町に合併されました。この標石があるのは和束町と木津町の境界ではないので、どこかから移設したものかもしれません。現在の和束町湯船は茶の産地として有名です。

奈良市道路元標

地図:奈良

猿沢池の西、三条通に面したKマートの前にあります。三条通は昔の奈良市ではメインストリートでした。標石の裏は「奈良」と刻字してありますが「縣」か「市」が地中に埋もれているようです。この標石の奥には他の標石の台座と思われるものが残っていました。昔の里程元標かもしれません。

奈良県吉野村道路元標

地図:吉野山

吉野山のロープウエイ山上駅と蔵王堂の中間に「銅の鳥居」がありますがこの西側に見られます。吉野村は1928年(昭和3)吉野町になりました。

大阪市道路元標

地図:大阪東北部

大阪市の道路元標は1922年中之島の市庁舎前に設置されました。それ以前は1876年(明治9)に高麗橋東詰に里程元標というのがあり現在も跡地を示す石碑が建っています。1953年には大阪市内の国道の起終点が梅田新道に定められ、梅田新道交差点西北へ移設されました。さらに1982年に一般国道2号の拡幅工事にともない写真のような風変わりな元標が新しくつくられました。

この元標は一般国道1号東京からの終点、一般国道2号北九州への起点、そのほか一般国道5道の起終点になっています。

和歌山市道路元標

地図:和歌山

和歌山市雑賀屋町の県庁前交差点東南角にあり国道24号、26号の起終点にあたります。ステンレス製棒状の近代的なデザインで和歌山のライオンズクラブが寄贈しています。表の金属プレートには和歌山市道路元標と刻字されています。なおバックの銅像はかっての和歌山城主、徳川吉宗です。

兵庫縣里程元標

地図:神戸首部

JR神戸駅北の湊川神社表参道入り口右側にあります。地上高約4メートル、一辺30センチメートルの角柱です。正面は「兵庫縣里程元標 神戸市相生橋西詰」、左右の側面は大阪府、岡山県、鳥取県など隣接府県管轄界までの距離、裏面には「明治四十三年二月」の刻字があります。

そばの解説碑によると1931(昭和6)国鉄高架工事のため元位置の相生橋から撤去され1960年(昭和35)元位置から西へ150メートルの現在地に移設されました。

兵庫県伊丹町道路元標

地図:伊丹

阪急伊丹駅近くにあり「山は富士、酒は白雪」で知られる小西酒造本社の北東角にあります。一辺27センチメートルの角柱で頭部は角錐になっており大正初期の全国標準型と異なります。(標準は頭部がまるい)地上高は55センチメートルあります。兵庫県川辺郡伊丹町は1889年(明治22)に誕生し1940年(昭和15)に伊丹市になりました。以前は摂津国伊丹郷町といわれ江戸時代から酒づくりの町として栄えました。伊丹の鴻池家は従来の濁酒から清酒をつくることに成功し江戸末期には200以上の銘柄があったといわれます。

兵庫県曽根町道路元標

地図:加古川

山陽電鉄曽根から北へ150メートルのところに曽根天満宮があり、その西側からさらに北へ進むと県道718号に出会います。「曽根支所東」の信号がある交差点で北東角に道路元標が見られます。25センチメートル角、地上高さ40センチメートルの花崗岩で頭部は丸みを帯びています。刻字は南面に「曽根町道路」まで読めますが「路」の大部分とそれ以下は埋没しています。

兵庫県室津村道路元標

地図:相生

姫路から相生にいたる国道250号から室津港の方へ細い道を降りた三叉路の東北角にあります。この地方では旧暦8月1日の八朔(はっさく)に、ひな祭りがあり家々では、ひな人形が飾られます。道路元標の上にも、ひな人形が描かれた石が置かれていました。江戸時代の参勤交代の際には室津港は賑わいました。室津村は1889年(明治22)に発足、1951年(昭和26)に御津町に編入、2003年(平成15)には龍野市に、さらに2005年(平成17)に、たつの市になりました。現在は、たつの市御津町室津です。

兵庫県篠山標柱

地図:篠山

兵庫県篠山市にある篠山城址の北、呉服町の歴史美術館南西角に見られます。木柱の南面は「篠山標柱福住標柱江参里七丁拾三間八分」ほか「追入 古市標柱」への里程、「篠山町」など、西面は「神戸元標江拾五里九丁二拾二間二分」ほか「山崎標柱」への里程、北面「明治三十五年四月」、東面「尼ヶ崎標柱江拾五里貳拾参丁貳拾八間壹分」ほか「奥原山 西野々管轄界標柱」への里程などが書かれています。1902年(明治35)に建立されましたが木柱であることから、なんどか建て替えられたと思われます。

兵庫県淡路沼島村道路元標

地図:諭鶴羽山

沼島(ぬしま)は南あわじ市にある島ですが淡路島の灘土生から定期船で10分の距離です。面積は2.5平方キロメートルですが人口は約600人です。鱧(はも)の名産地で料理屋も数軒あります。道路元標は港に近い沼島八幡宮の正面にむかって道路左にありました。

鳥取県倉吉市西町道標

地図:倉吉

倉吉市西町の玉川近くの四つ角に見られます。この道標は町家の西町と武家屋敷が建ちならぶ瀬崎町の境近くに立てられ倉吉から近隣の町へ続く街道の接点にも位置しました。このあたりは「伊能忠敬の足跡が残る八橋往来」と観光パンフレットにあります。八橋往来は伯耆国の中心であった倉吉と八橋(やばせ、東伯郡琴浦町)の間、4里を結ぶ街道でした。刻字は西面に「距伯耆國河村郡福本村管轄境」(福本村は現三朝町)、南面は「長瀬驛ヱ貮里七町貮拾貮間」(ほか刻字あり)「久米郡倉吉驛」(長瀬駅は現、湯梨浜町はわい長瀬)、東面は「距因幡國鳥取西町元標拾二里二拾三町廿九間」、北面は「明治十九年九月日 施主」一部筆写漏れ、また間違いもあるかも知れません。

岡山市道路元標、岡山縣里程元標

地図:岡山南部

岡山県庁の南、旭川にかかる京橋の西詰にあります。JR岡山駅の東南1.5キロメートルの地点になります。岡山市道路元標は交番所の前にあり標石は1921年(大正10)ころの標準型です。また岡山縣里程元標の方は交番の南西歩道にあり北面には「岡山縣里程元標 岡山市橋本町」、東面には「藤井へ貮里壹町五拾八間壹尺」、南面には「明治四十年八月」、西面には「真金へ貮里貮拾貮町貮拾貮間」とあります。「藤井」は岡山市の東北、JR山陽本線上道の西にあり「真金」は岡山市の北西、JR吉備線備前一宮の西にある「真金一里塚」(まがねいちりづか)と思われます。

そばにある岡山県の説明板によると岡山縣里程元標は1868年(明治1)に設置されましたが幾度か立て替えられ、この標石は1907年(明治40)から1915年(大正4)の京橋の付け替え工事まで設置されていました。岡山市道路元標は旧道路法により1920年(大正9)に立てられたことになっています。

広島市道路元標

地図:広島

原爆ドームのすぐ近くにある元安橋の左岸の植え込みに設置されています。刻字が鮮明でないうえに光線を反射し写真ではよくわかりません。すぐそばには解説板が立っていました。


■Top of this Home Page
■Next Page

[PR]三井住友海上きらめき生命:医療保険のご案内と資料請求はこちらから